• 1821【文政四年】

    高野忠兵衛

    高野忠兵衛は、文政四年(一八二一)高木字木ノ下で生まれ、幼少より嚇子好きであったが、代神楽を習って副業(本業は屋根屋職人)として、江戸及び全国を廻って灘子を習ったが満足できず、江戸神田唯子の師匠を自宅に招き、清河寺の嚇子連と共に習ったのが、灘子に専念するきっかけであった。その忠兵衛を慕って各所より教えを乞いに訪れ、生前に教えた灘子連の数は近郷三十三か村といわれている。